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神保町に本屋が多いのはなぜ?理由を神保町の歴史とともに解説

産物や景観、地理、伝承など、街を特徴づけて象徴となる種々の名物があります。
「○○の街」といった呼び名で親しまれており、その地域の代名詞のように捉えられているものとも言えます。

そのうち「本の街」として有名なのが東京都千代田区の神田神保町(かんだじんぼうちょう)です。古書店の集中地としてよく知られ、その規模は世界一ともいわれています。

本記事ではそんな神保町について、本屋さんが多い理由と町の歴史を中心に解説します。

神保町に本屋が多いのはなぜ?



本の街、古本の街として有名な神保町。この町にある古書店の総数には諸説あり、正確な店舗数は分かっていません。メディアによっては130件あるいは180件、最大で400件と紹介されることもあり、それほどの突出した規模を誇っています。

そもそも神保町には、なぜこれほどまでに書店が多いのでしょうか。

それは明治時代の初め頃に相次いでこの地域に学校が創立され、学生たちに向けて書店が続々とオープンしたことが由来となっています。

次に神保町の名の由来と歴史を概観し、明治時代に本の街へと変遷していった流れを見ていきましょう。

「本の街」神保町の地名の由来と歴史



「神保町(じんぼうちょう)」は有名な地名ですが、神保を「じんぼう」とするのは難読の範囲ではないでしょうか。

遠く江戸時代に遡る町名の由来と明治以降の本の街への変遷、大戦を乗り越えてそれが現在にまで続いている経緯を解説します。

地名の由来は江戸時代



神保町という地名は、この地域に江戸時代前期の旗本「神保長治(じんぼうながはる)」の屋敷があったことに由来しています。

長治の屋敷は正確には現在の神田小川町でしたがその小路は当時「神保小路」と呼ばれ、やがて明治期にその周辺が神保町と称されるようになりました。

ちなみに神保長治は寛永18年(1641年)生まれ、正徳5年(1715年)没。系図上では忍者として有名な甲賀(こうか)二十一家の系譜に連なる人物です。

本の街へと変遷を遂げた明治時代



神田神保町が本の街として発展した理由として、明治の初め頃この地域に学校が続々と創立されたことを先に述べました。正確には1880年代のことで、主に法律学校が次々と開校したことが記録されています。

明治法律学校(現:明治大学)、英吉利法律学校(現:中央大学)、日本法律学校(現:日本大学)、専修学校(現:専修大学)などが相当し、いずれも現在にまで系譜のつながる学校群です。

当然ながらこれだけの学校が林立した当時の神保町界隈は学生街の様相を呈し、そうした法学生を対象とした法律書等を扱う書店が急増しました。

それに伴って古書店も登場したのには整然とした理由があります。すなわち単位年限ごとに履修済みの教科書を売却し、下級生たちがそれらを古書として安く購入し、また進級のタイミングで売り……といったサイクルが出来上がったためです。

日本の詩人で『文藝』の編集長も務めた「野田宇太郎」は「神田の古書街は明治時代の学校出現と供に始まった」と記しており、古書の街としての神保町の歴史を端的に表現しています。

ちなみに日本の最高学府である東京大学は現在文京区本郷に所在していますが、最初は神田で開校し学士会館には「東京大学発祥の地」の碑があります。

大戦で焼けなかった古書店街、文化が継続した戦後



太平洋戦争末期、日本本土が空襲の被害に遭い東京も焼野原になったことはよく知られています。

しかし現在もその命脈を保つ神保町、特に靖国通り沿いの古書店街はその戦火から免れています。他にも奇跡的に焼け残った地域や建物も無論ありましたが、神保町についてはある説が囁かれてきました。

それはアメリカ軍が貴重な書籍類を保全するため、意図的に攻撃対象から当地を外したというものです。司馬遼太郎は著書の中で、ハーバード大学教授であったセルゲイ・エリセーエフがダグラス・マッカーサー元帥に進言したと記していますが、事の真偽は定かではありません。

いずれにせよ、貴重かつ大量の本が守られたことにより、戦後の復興期には一層多くの人々が書物を求めてこの街を訪れるようになりました。

「本の街」神保町の現在



神保町は現在も本の街として世界に冠たるポジションを守っていますが、単純な古書流通の拠点という位置付けに留まりません。

もはや貴重書籍の一大集積地であり、データベースや検索システムの整備は進んでいるもののその全容は把握しきれていないのが現状です。埋もれた本の宝庫として機能しているとも言えるかもしれません。

一方では書物以外にもカレーの名店が集まる地域としての知名度も向上し、神保町全体のブランドに新たなイメージが付加されています。

まとめ



Web上で多くの文章や書籍データ等を確認できるようになった便利な現代社会ですが、まだまだ圧倒的多数の本は現物でないとその内容を読むことができません。

そういった点においては紙の書籍の価値は決して損なわれておらず、古いものほどその傾向は強いのではないでしょうか。

そのような書籍は商業出版に限定されたことではなく、私家本や自費出版本など幅広い形式での出版物においても同様です。

神保町での例からも分かるように、書物として記録を残すことは数世代を超えて物事を伝える上で重要な取り組みなのです。

風詠社では自費出版のご相談にも応じています。ジャンルを問わず原稿のお手持ちのある方は、本にするという形をぜひご検討されてはいかがでしょうか。

こちらの記事の監修者

自費出版の風詠社コラム編集担当 大杉剛

  • 株式会社風詠社代表取締役社長。
  • 1979年3月、早稲田大学第一文学部ロシア文学専攻卒業。
  • 畜産関係業界紙編集記者を経て、印刷会社でシャープ(株)の社内報編集を担当。
  • その後、東京および関西に本社を置く自費出版会社3社に勤務し、企画・編集した書籍は450点以上。2008年に株式会社風詠社を設立。自費出版の編集歴は30年以上。
  • コラムでは、読者の皆様や自費出版を検討されている方に、有益な情報をお届けすることを目標に執筆しています。

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